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LINER NOTES

 僕らが間違っちゃいけないのは、自由というものが簡単に「手に入る」と思うことである。そんな馬鹿げた甘いことなんかあるわけもなく、だからこそ今日も誰もが自由を「手に入れる」ためにもがき続ける。
 とんでもなく自由なバンドの誕生だ。お互いに「パンク」や「ジャズ」などの背景がきっちりと見えながら、まったくその「祖先」に従わずに暴挙を繰り返すようなアナーキーさを剥き出しにしている2組の合体バンドである。そもそもヴォーカル同士のコラボレートでもなく、近しいジャンル同士のそれでもない。これは同志と認めた者同士の魂と細胞が求めたコラボレートであり、それはつまり、「コラボレートを超えた新しいバンド」の誕生と言ってもまったく大袈裟ではない出来事だと思う。

TOSHI-LOW「自分達が異質って言われてるから、他の人にあんまりそれを感じないんだけど、エゴは変わってんなぁ、異質だなぁってずっと思ってた(笑)。エゴの持ってるジャンルを俺は触ってないのでわかんないですけど、でもこの表現力は凄いと思う」
RONZI「歌も声も曲もスタイルもすべて…………変なの~ってずっと思ってました(笑)」
KOHKI「いい感じで狂ってるんですよ、エゴは」
森「僕らはBRAHMANのいるシーンにはいないんですけど、いつも彼らはそのシーンの中でいい意味で浮いてるじゃないですか。それがいいというか、そのことでいつもBRAHMANを意識しちゃうんですよね」
中納「世の中や音楽をやっている人に対して、はっきりしたメッセージや姿勢を意志を持って出すじゃないですか、BRAHMANは。私はハードなものをあまり聴かないんですけど、そんな人にもこの意志を持った音はすーっと入ってくるんですよ。BRAHMANを聴いていると、媚びないってことはキャッチーなんだなと思います」

  結成のきっかけは、TOWER RECORDSからのオファーだった。30周年企画の一環としてもちかけられた、「NO MUSIC, NO LIFE.」の旗の下で夢のタッグを実現しないか?というオファーに両バンドとも前向きになったものの、結果的にスケジュールにはめることができず。しかし、この企てはそこで終わらなかった。昨年の12月に行われたBRAHMAN主催のイベント「tantrism vol.6」にEGO-WRAPPIN’の出演が決まったからである。
この2バンドの対バンライヴが企てられたのは、初めてではない。しかし2003年の時はエゴの森の体調不良によって出演キャンセル、結果的にそれは「BRAHMAN史上、初めてのワンマンライヴ」を開催させることになってしまうという珍事を呼んだ。そのことを含め、さらに言えばTOSHI-LOWと中納がご近所なことも含め、2バンドの「まだ見えぬ絆」は頑なに守られ、去年の対バンの実現となったのだ。
 そこで浮上したのが「このイベントのために一緒に曲を作ろう」という一歩も二歩も踏み込んだアイディアであり、ここに発案者の願いも成就する音楽が生まれることになった。

先頭切って曲作りに向かったのはKOHKIと森という、両バンドのギタリスト。まずは浅草の浅草寺にお参りして「神頼み」、その後、森の自宅にKOHKIが2泊しながら、今度は「酒頼み」の中でまずは“WE ARE HERE”の原型が出来上がった。ちなみにこの曲のイントロには中学生のハードロック少年も喜びそうな煌びやかなツインギターのリフが入っている。2人が2昼夜、どんなに楽しそうに酒に煽られながら音楽と戯れたのかが一聴してわかる名フレーズだ。
“WE ARE HERE”は目出度く新木場スタジオコーストで披露され、何十人ものダイヴと若手バンドからの羨望の眼差しに歓迎されて世に放たれた。終演後、楽屋に向かった僕に森が伝えてくれたのは「実は、KOHKIくんと完全にウマが合っちゃって、もう1曲やろうと思えばやれる曲があるんですよ」という、さらなるサプライズ。それが“promenade”なのは、言うまでもないだろう。

“WE ARE HERE”と“promenade”。音楽を雑種的に喰い尽くした最高の2曲でもあるし、最高に贅沢に音が鳴っている2曲でもあるし、稀代のヴォーカリストである2人の未だ聴こえて来なかった世界がいきなり開かれる最高の2曲でもあるし、単純に最高にイカれた2曲でもある。
 何故にあれだけ流暢なメロディが、これだけのスピードの果てで鳴らされるのか? そしてそのスピードの果ての世界でどれだけ歌と歌が絡み合ってぶつかり合って、抱きしめ合って引っ叩き合っているのか? 豪快にして繊細な2バンドの「獣の匂い」が鮮烈に放たれる名演がここに広がっている。“promenade”などは、あのレゲエ&ジャズナンバーに、どうして蹂躙するようなハードコアなイントロが乗っかるのか? 皆目意味がわからない。しかし間違いなく言えるのは、この2バンドが合体しなかったらこの世界に舞い降りることがなかった1曲であるということである。ちなみにその“promenade”には、こんなにも「らしくない」エピソードがある――。
MAKOTO「こんなリズムやったことなかったから、レコーディング前に1人で練習するのが辛くて。思わずジャズの教則本を買ったりして、『ジャズだとこんなふうにやるんだ?』って感心したりしてました(笑)」
 ここにある2曲は、気持ちよさそうにお日様を浴びていたかと思えば、急に不機嫌になって世界に食って掛かるような、まるで雑種犬のように世話しないロックである。楽しい歌も、激しい音も、一気呵成しながら人の心のど真ん中に差し込んでくる、「狂気」と「凶器」と「狂喜」を伴う生命の賛歌のように聴こえる。何故、BRAHMANとEGO-WRAPPIN’はこんなにも深い部分での化学反応を音楽の中で起こせたのだろうか? TOSHI-LOWが最高のアンサーをくれた。
TOSHI-LOW「エゴを含めて俺らは、自ら選んで音楽をやるという意志が強い世代だと思うんですよ。自分の街にスタジオがないから、自分で手作りでスタジオ作ったみたいな世代じゃないですか。……今回、噛み合わなかったらどうしよう?って最初は不安だったんですけど、自分達で音楽を選んでいるという意志がお互い剥き出しで見えたので、それだけで上手い下手や、センスあるなし以前の問題が解消されてるんですよ。だから音楽で自分を表現する資格を自分達で掴み取った世代ならではの音楽になってるとは思う」

 今回の「威風堂々とした新バンド結成記念シングル」には、2曲のオリジナルの他にもスぺシャルなトラックが収録されている。両バンドそれぞれが、相手のバンドの曲をカヴァーするというものだ。これには素敵なエピソードがついていて、なんとお互いのバンドがどんな曲をどうカヴァーしたのかを、リリースされる日まで知らされないというのだ。よってリリース前のメディアにはカヴァー曲の詳細は明かされないし、言ってみればこのディスクをリリース当日に買ったあなたとブラフとエゴのメンバーは、同じタイミングでそれぞれのカヴァー曲を楽しんでいるのである。この辺りにも音楽に対しての彼らの純粋さと遊び心が見え隠れしている。
 今回、EGO-WRAPPIN’がカヴァーしたBRAHMANの曲は、今のところ最新のオリジナルアルバムである『ANTINOMY』の2曲目を飾っている曲。
森「わりかしメロウな曲も多いし、ゴリッとしたハードな曲もBRAHMANにはある。どっちかと言えばゴリッとしていて、でもよく聴いたらメロディええやん! みたいな曲を、選んで再現したんです」
中納「すごい難しかったですよ、英語の詞から何から何までクセだらけだったから(笑)。メロディがいいから、どこまで女性らしくやろうとか、いろいろ考えました。BRAHMANは激しいけどしなやかで、しかもエレガントじゃないですか。そういう繊細さを大事にしつつ、バンドの曲をシンガーソングライター的に聴かせることに注意して、ピアノもドラムも全部2人っきりでやりました」
 一方でBRAHMANがカヴァーしたEGO-WRAPPIN’の曲はエゴの出世作としても知られているミニアルバム『色彩のブルース』の1曲目を飾っている曲。
TOSHI-LOW「ほんとは歌モノやりたかったんだけど、あんなすげえ歌、歌えねえし(笑)。強烈っすよ! 譜の取り方も凄いし、1番から2番でどんどん変わってくし」
KOHKI「ギターも崩すのが難しくて。結果的に開き直って崩しまくったんですけどね(笑)。エゴって必ずしもメロディックじゃないんで、リズムで工夫しなきゃいけないんすよね。それがこの曲は面白かった」
TOSHI-LOW「このカヴァーでもお互いの世代感を出したくて。2つのバンドとも、90年代のオルタナティヴ感があると思うんですよ。それを出せたらなあって」

 このシングルがドロップした後、この意志まみれのニューバンドの予定は何一つ決まっていない。訊ねてみても答えは――――。
「浅草の神様次第です!」の一点張り。
 しかし彼らが如何にこの共同作業に没頭し、自らのロックを体現し、さらに明日への可能性と確信を深めたかは、4曲が色濃く颯爽と表している。こういう、一時の気持ちやビジネスやノリだけで組まれたのとは雲泥の違いを見せるコラボレートは、まさにロックの宝物そのものであり、BRAHMANにとってもEGO-WRAPPIN’にとっても自らの物語になっていくものだろう。
 きっとこのバンドの物語はまだまだ終わらない。その次の時までこの4曲を繋ぐのは、あなたの使命かもしれない。

2010.4.17 鹿野 淳(MUSICA)